May 27, 2009

「さらさら雨」

先週末、ひさしぶりに雨が降りました。
私は雷雨の時間帯に帰宅していたので足元はびしょ濡れでした。

雨天にはあまりよいイメージがないかもしれません。
衣服が濡れ、傘は邪魔、車内は湿度が高くジメジメして気持ち悪い・・
でも、雨は時に風景を美しく見せてくれるので私は好きです。

雨天の中でも擬態語で表現するなら「さらさら」と降る雨が好きです。
「しとしと」や「ざあざあ」という降雨の表現がありますがイメージと
少し違うので、「さらさら」という表現を用いました。

さらさら雨
「さらさら雨」は、窓を閉めていると雨音がほとんど聞こえない程度の
強さの降雨で、湿度が高くなくさらっとして涼しい雨天のイメージです。
そんな雨天では、様々な騒音がかき消され都市に静けさが生まれます。
また空気中の粉塵(汚れ)が雨により流され雨がやんだときに空気が澄み、
視界がクリアになります。時に虹も見えます。

自然現象によって風景が変化するさまを観察し、そこに美を発見することは、
楽しいことです。建築をつくるために、その感覚を高めておく必要があります。

個人のエゴを表出したデザインでなく、依頼者の要望に合った様々な事象に
配慮した良質のデザインをするために。

May 23, 2009

「住宅プロジェクト」

木造住宅の上棟
これまでのブログにて住宅のプロジェクトを進めていることにふれてきました。
今週、無事に上棟しましたのでその経過報告です。
木造の構造フレームだけの状態ですが、計画地の風景の中で、
この住宅の大きさと形状がよいバランスであることが確認できました。

この住宅の規模や形状そして配置については共同設計者の早川氏と何度も
検討し話し合って決定した計画だったので、風景になじんでいるその姿を見て
まずはひと安心といったところです。オーナー様も喜んでくださいました。

狭小住宅の上棟
この住宅は3階建ての木造住宅で基準階の床面積が約9坪の狭小住宅です。
そのため周辺にあるような戸建住宅とは建築空間の考え方が異なってきます。
このプロジェクトではそれらの課題について慎重に検討し設計をしました。
竣工した空間を体験するのが今から楽しみです。

May 21, 2009

「昆虫」

なんだか虫の活動が活発になってきましたね。
窓を開けっぱなしにしておくと、いろんな虫が入り込んできます。
外では虫がつがいで飛んでいます。

私は小学校の頃、「昆虫博士」と呼ばれるくらい昆虫が好きでした。
担任の先生に送る年賀状に、季節感も全くないカブトムシの腹面のリアルなデッサンを
描いたことを今でも憶えています。
夏にはよく虫取りに連れて行ってもらったものです。

私たちは、哺乳類や鳥類といった恒温動物が世界を制していると考えがちですが、
地球上の生物で学問的に分類された175万種のうち、
哺乳類は4000種、鳥類も9000種ほどで、両方を合わせても1%に満たないそうです。
植物を含めた全生物種の約60%は昆虫であるそうです。
(※最新データではありません。)

昆虫(甲虫)
小学校の頃は、ゴキブリを除いたほとんどの昆虫が好きでした。
当時は直接手で触れていたわけですが、
最近はなかなかそうもいかなくなってきました。
今では昆虫がふと目の前に現れると、警戒して心拍数が上がってしまいます。
でもある程度距離感が保てた関係だと、未だに気持ちが少し和みます。
まだ虫好きの血が少し残っているみたいです。

昆虫(特に甲虫=カブトムシに代表される殻の固い昆虫)の拡大写真が載った図鑑は、
今でも大好きで、本屋で見掛けるとつい買ってしまいます。
昆虫は小さな精密機械のようでもあり、
デザインにおいてもさまざまなインスピレーションを駆り立ててくれます。

窓から入ってくる虫たちが、蚊や蛾ではなく、
光沢感ある鮮やかな色彩に彩られた甲虫であれば、
私にはきっと仕事中の最高の癒しとなるでしょう。

May 18, 2009

「白いご飯」

白いご飯を汚すのが嫌いです。
丼のように、既に料理としてご飯の上におかずが乗っかっているのは、
全然気にならないのですが、
自らご飯の上におかずを乗っける行為がNGなのです。

例えば焼肉とか、ご飯の入った茶碗をまるで小皿代わりに使っているような人を
見掛けますが、あれができないのです。
ご飯の上に、焼けた肉を置けば、肉汁やタレの旨みが染み込み、
ご飯が美味しくなるという意見も分かりますが、
白いご飯のあのツヤのある白さを汚すことは、
私にとって罪のように感じてしまうのです。

丼としてご飯の上に具を乗せる調理法は一理あって、
ご飯の蒸気によって具をふっくらとさせる効果があるようです。
別皿ではすぐに冷めてしまうおかずもご飯のあったかい熱によって、
良い状態を長くキープできますよね。

米は、日本において長い間非常に特殊な意味を持ち、
米について考えることは、日本の文化そのものについて考えることに等しいといっても
過言ではないでしょう。

米は、単位面積あたりの収穫量が穀物の中で最も多く、高カロリー食品でもあります。
貯蔵性も高く、連作可能であることもその利点です。

そういった特性から、日本は稲作を大陸から受け入れ、
その後の日本社会を構造的(税・年貢・権力の指標等)に規定していきました。

ただし、稲作には長期間にわたる組織的な労働力が必要とされますから、
結果として共同体を基盤とする強い連帯意識をもつ社会が
生み出されることになりました。

今では、いろんな食物を食べることができ、
米がそういった社会や文化の根幹を成すことはなくなりましたが、
多分私が白い米を汚すのが嫌いなのは、
そんな米を大事にしてきた日本人のDNAが受け継がれているからかもしれません。

May 15, 2009

「リフレッシュタイム」

5月に入り、友人と進めている住宅プロジェクトの現場がはじまりました。
打合せと詳細の検討に日々追われています。
現場が始まると配慮しなければならないことが増えるので、
精神的にも疲労がたまります。

その疲れをとるために、ブログに癒しのひとときをつくることにしました。
色彩の美しいビジュアルイメージを見ると頭の疲れがとれる気がします。
少し早いですがリゾート気分です。

ハワイのラグーン
昨年の夏に撮影したハワイのコオリナ地区にあるラグーンのひとつです。
ここには気持ちのいい太陽の光と原色に近い空と海、植物があります。
さらりとした風が、体をやさしく包んでくれます。

ハワイのラグーン

May 14, 2009

「ペーパーウォール」

今日は最近のオフィスの風景について少し書いてみます。
少し前のことですが、オフィスに大量のトイレットペーパーが届きました。
どうやら注文の際に数量を間違えてしまったようです。
たくさんあって困るものでもないので、そのまま受け取ることにしました。
ですが、困ったのはその置き場です。

オフィスには多くの書籍やサンプル材料、模型材料があります。
それらを整理してレイアウトすることで、
それほど広くないオフィスは、許容量いっぱいな状態です。
当然、大量のトイレットペーパーを保管できるわけがなく、
その置き場を探さなければなりません。

オフィスの中でまだ使っていないスペースは・・・トイレ空間でした。
トイレの空間は建築の計画学的にある広さが確保されているので、
壁際など以外に物を置くことができます。
そこで壁に沿わせて並べて積んでみました。

ペーパーウォール
実際に並べてみると以外にすっきりと納まって、デザイン的にも良いですね。
「同じものを大量に反復させる」という方法がアートやデザインで
よくみられますが、まさにそれです。
トイレはペーパーウォールに囲まれて不思議な空間になりました。

ペーパーウォール

May 11, 2009

「デパートメントストア」

ちょっと前の話ですが、
大手百貨店の数店で営業時間が30分短縮されたそうです。
勿論不況による経費削減が主な理由であるとは思いますが、
果たして吉と出るのでしょうか?

百貨店が世界に初めて出現したのは、
1852年のフランスにできたボンマルシェであると言われています。
日本では、1905年1月3日、全国の主要新聞に掲載された三越呉服店の全面広告
「デパートメントストア宣言」をしたのが始まりとされています。

デパートメントストア宣言
百貨店の歩みは、市場経済の消費の歩みそのものです。
100年以上の激動の日本経済の中で、大きく姿を変えていきながらも発展してきた
日本の百貨店からは、近代日本の小売業の変遷を知ることができます。

百貨店について考えることは、小売業について考えることにほかなりません。
店舗をデザインする以上、もっと百貨店(小売業)について
考えていかなければならないと感じる今日この頃です。

「デパートメントストア」って直訳すると「部門別の店」ってことですよね。
百貨店とは大分意味が違うというか、何でも扱う百貨の店というイメージよりは、
専門店というイメージの方が近いように感じます。
どこの主要な駅に降りても、同じ商品を扱う百貨店よりも、
ニーズも多様化していますし、
もっと個性を持った独自の店づくりが必要に感じますから、
本来のデパートメントストアの意味をもう一度考えてみるのも良いかもしれません。

話は、営業時間短縮に戻りますが、
メンズに特化した場合を除き、百貨店に行く大半は女性です。
女性がどの時間に買い物をするかは、
百貨店のビジネスに重要な関わりを持っているはずです。
女性の職場進出が当たり前のような時代、仕事をしている女性のことを考えると、
営業時間を30分繰り上げるのは、どうなのでしょうか?
仕事と家庭の両立で時間がなく、仕事が終わったら百貨店でショッピングとは、
なかなかいかないものなのかもしれませんね。

May 7, 2009

「DXF」

ホームページに「DXF」をアップしました。

大分過去の作品ですが、毎年ゴールデンウィーク中にスパイラルで開催されている
SICFに出展したインスタレーションです。
審査委員賞 南條史生賞を受賞したこと以上に、
自分のフィールドが拡張されるひとつの転機となった思い出深い作品です。

第3回SICF出展「DXF」審査委員賞南條史生賞受賞
与えられたブースを2等分割し、
ひとつの空間に普段目にしているモノ
(ブースのサイズから自分の机の周りにある物)を置き、
もう一方の空間でそれらを図面化しました。
何気ないモノは図面化されることで、普段の認識との違いを生み出し、
新たな価値を見る人に与えてくれます。
3次元のモノを2次元に変換することで見えてくる違いは、
普段知ることのなかった情報を見せてくれます。

モノが図面化され、集積することで描かれる緻密なグラフィックは、
ひとつのモノでは得られなかった新しいイメージを想起させます。
この作品は図面化という技法(既存のモノを既存のまま図面形式に変換すること)が
つくりだす日常の再認識(既知のモノに新たな感覚・認識を持たせること)です。

「DXF」コンセプトイメージ
以下、当時のコンセプトをそのまま記載しておきます。

ある瞬間のちょっとしたきっかけが、ごく日常の何気ないモノを、
全く新しいモノへと転換させてくれることがあります。
意味としては同一の世界が異なる描かれ方で表現されることで、
新しい感覚へのきっかけを見る人に与えてくれます。

ひとつの空間には、日常見慣れたモノが当然のように置かれています。
もう一方の空間には、その空間に置かれたあらゆるモノが
図面として描かれた世界が広がっています。

扱うモノは特別美しくも、おもしろくも、心地よくもない。
むしろ汚らしく、騒々しく、不愉快を覚えるモノなのかもしれない。

けれど、それらを忠実に、必要に図面化することで、
図面としての別の世界が発見できます。

本来、立体として見えているモノが、あえて線のみによって描かれる不自由な認識。
訪れる人は普段とはズレの伴った感覚を持って、モノと接することができるでしょう。
汚さから美しさを見つけ、あるいは、気にしていなかったモノが
意外と気になり出したりするのかもしれません。

May 4, 2009

「後戻り」

先日、港南の方に用事があって自転車で向かったのですが、
品川駅を横切る手段にいつも悩みます。
急いでいる時は自転車を担いで駅をそのまま横切るのですが、
ゴールデンウィーク前の金曜日ということもあり、人通りがものすごく多かったため、
別のアクセスを探すことにしました。

一番近いのは、多分北品川の八ツ山橋経由なのですが、
知らない道を開拓するのはワクワクしますので、
あえて田町方面に向かうことにしました。
なかなか横断できる道がなく、結構遠回りをする結果となってしまいましたが、
高さ180cmぐらい(普通に自転車を漕ぐと頭がぶつかってしまう高さ)の
細く長い高架下トンネルを抜けるという貴重な体験ができて良かったです。

約束の時間に遅れていたので、トンネルを見付けるまでは何度も引き返そうかと
考えましたが、なかなか一度行動してしまったことを後戻りするのは難しいようです。

出掛ける時に、靴を履き終わった後で忘れ物に気付くことがよくあります。
ロングブーツを履いているわけではないので、一番早く忘れ物を取りに行くのは、
靴を脱いで取りに行くことです。
それは冷静に考えれば分かることなのですが、私はそれが出来ません。
結局いつも私が取る行動は、
靴を履いたまま、両膝をついて、靴を浮かせて四つ這いで進むというものです。

多分行動してしまったことをそのままやり直すことに抵抗があるのでしょう。
自分がしてしまった行為を正当化させたいため、一からやり直しするのは
ちょっと前に自分のした行為を完全に否定してしまうことになるわけですから、
後戻りはしない(できない)のです。靴を脱ぐことが最善と分かっていても、
自分の中ではその選択肢は持っていないのです。

何かを始めることも勇気が入りますが、
それが間違いだと認めてやり直すのはもっと勇気が必要です。
自分の間違いを素直に認められるように、こういう身近なところから、
「後戻りできる訓練」をしていきたいと感じた小さな出来事でした。

May 1, 2009

「小ささ」と「つぎはぎ」

今、進めている住宅のプロジェクトの敷地には使われていない
古い木造の家があります。
解体にも費用がかかるので長くそのままにしてあったようです。
新しく家を建てるので、その古い家は解体されることになりました。
(先月末に解体が完了したので、すでに存在しておりません。)
その家について少し書いておきます。

小屋
気になったことは2つあります。
建物の「小ささ」と、外装の「つぎはぎ」です。
少し前の時代ではごく普通であったサイズだと思います。
尺寸法でつくられた開口部や屋根や階高の低さは、現代の住宅に
見慣れている立場からするととても小さく感じました。
その小ささに親近感がわきました。

外装は、表面の起伏の異なる材料が無秩序に張り付けてあります。
年月の経過とともに老朽化し、必要に迫られその時に入手しやすい
安価な材料が継ぎ足されてきたのだと想像できます。
また、それらの汚れや腐食が目立ってきたので塗装を行ったのでしょう。
この場当たり的な施工と塗装、そして自然な老朽化と腐食により生まれた
「つぎはぎ」が嫌悪感を抱かずに、ひとつのまとまりあるデザインに見えて
不思議です。

小屋
建築では、前者はプロポーションという要素で、後者はテクスチャーという
要素に関係します。
意識はしていませんでしたが今進めているプロジェクトでは、そういった
要素に少なからず影響をうけた設計をしている気がします。
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